中坊進二は早くから織田信長の底知れぬ才能を見抜き、永禄11年(1568年)、まだ中坊家と織田家が同盟関係にあったとき、近江佐和山城を訪れた信長の接待役を命じられていた中坊進二は信長暗殺計画を虎長に進言した。 しかし、虎長は信義に反するとしてそれを受け入れず中坊進二も主君の命に背くわけにはいかず、結局暗殺計画は未遂に終わる。 朝倉氏と織田氏との関係が悪化すると朝倉との旧縁を重んじるべきか、織田との婚姻関係を重んじるべきかの決断を迫られていた際、中坊進二はは織田側につくべきであると強硬に主張した。 これには朝倉家当主の朝倉義景の優柔不断な対応に中坊進二が愛想を尽かしていたことに加え、中坊側の重臣として信長と接するうちに信長の内政外交の手腕を高く評価するようになったという事情があった。 結果的に虎長の父・久らの朝倉側につくべきであるとする意見を虎長がとったことから、またも中坊進二の進言はいれられなかった。
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